武術的教えの実践DAYS その59
たまには湿っぽく。
去る日曜日の10日のことである。午前、午後の充実した2部稽古を終えて帰宅すると、道に面した台所の灯りが雨戸も閉めぬまま点いていて、中が丸見えである。
これが嫌な家人なら戸締まりしているはずだが、実家に帰ると朝聞いていたので、案の定、中2の娘が在宅中だった。
一言言ってやろうと思ったが、何だか張り詰めた雰囲気である。
流しに積み上げられたボールにはまだ固まっていないチョコレートが何本もの線状に残っている。その他、それらをかき混ぜたであろうヘラやら、何やら。
テーブルの上にはクッキングシートを敷き詰めたトレーの数々。焼く前のクッキーが所狭しと、整然と並べられている。
咄嗟にこれは触れたらあかんやつやと思って、その場を後にするが、まったくこちらを氣にすることなく、作業を続けている。
凄い集中力。
まあ、今日が本番であったわけだが、どうなったのか?いまだ聞けずにいる根性?なしのわたくしである。
ところで、戸籍上4月から大学生になるお兄ちゃんと娘の二人の子どもがいるわけだが、もう一人お姉ちゃんがいるはずだった。
年齢にすると大学2回生になっているはずの彼女は心臓に奇形があり、上手く血液や酸素が流れていなかった。
普通に診察を受けに内科に行くと、緊急入院ということになり、救急車には一人しか乗れないので、自分は自家用車で後を追いかけるようにして病院に向かった。
すぐに手術となり、終わると包帯を巻かれ、チューブをいっぱい入れられて抱っこすらできなくなった。
でも、時々笑顔を見せてくれた時には絶対治ると信じていた。
が、それも及ばなかった。
結局、バレンタインデーに産まれて、子どもの日に亡くなった。
どちらもすぐ忘れる僕でも、さすがに忘れられない日である。
当たり前だけど、お葬式では大人になってから初めて泣いたが、家人はその前も後もずっと泣いていた。
時々、何のために彼女が産まれて来たのか?考えてしまうけど、明確な答えはいまだ見つからず、それもほんの時たまになってしまった。
元来、年中行事としてのこの日にはろくな思い出がないが、毎年毎年世間のばか騒ぎとは違う忘れられない1日である。
武術的教えの実践DAYS その58
何となくそうだろうなあ、と思っていたことを確認すべく長らく探していた本を図書館で見つけたのだが、ようやく読破することができた。と言ってもそんなに長くないけど。
大きく考えるための小さな本というのがそのタイトルで、量子力学について書かれている。
否、そんな本はたくさんあるのだけれど、とにかくそれを生活において活用すればとにかく、過去への不満や未来への不安と言ったネガティブな感情を消し去るだけでなく、希望を現実化させることが可能だと言う。
実際、SNSの広告やらで、これらを用いた治療や、成功法などと言った文言をよく見掛けるようになっている、現状はこれが一般的にも相当浸透しているのだと言えなくはないだろう。
現実は自らが作り出しているとよく言われる。
僕は今図書館で、件の本を読みながら文章を考えているが、その自首禁止と張り紙がなされたその一角は最初、自分1人であった。
すると何だか知的に見えるご老人が一人現れて、席はたくさん空いているのになぜか自分の前に座ってスポーツ新聞を読み始めた。
が、競馬や競艇と言ったギャンブルに関するところは読み飛ばされ、捲る度に発生する紙の音と風圧、それにのって微かに新聞紙の匂いがするのが氣になる。。
そのキャップを被った、少し知的な感じがすると思しき御仁が手を止めたのはあろうことかアダルトのページだった。
そういうのは枯れないものなのだと何かで読んだことがある。
だが、読むのが遅い当方が10ページほど読んでも尚、そのページをまさしく目を皿のようにして読んでいる。
スマホ使ったらもっとごっついの、おまっせ!
そう教えてあげたくなった。
これは一体何がもたらした現実なのだろうか?
やっぱり教えて上げるべきなのだろうか?
興味を持ったので、動画をいろいろ探したら初心者にも分かるようなものがいろいろあった。
その中で興味を持ったのは量子のもつれだった。
お互いに引かれ合う量子の片方を離れたところに移動しても、違う方はやっぱり同じ距離を保ちながら付いてくる。
論争の末、何らかの法則があるはずだと異議を言った天才アインシュタインが負けた。
確かこんな話だったと思うのだが?
とにかく、それはテレポーテーションにも応用されようとして研究が続けられている他、動画などで参考にさせてもらっている武術の先生がイメージすることの有用性を説いていた。
確固たるイメージはどこまでも引っ付き合う量子のもつれのように相手に影響を及ぼし、引いては現実世界においても確実に影響を及ぼすのだと。
そして、あまりにも有名な
E=mc2 E=エネルギー、m=質量、c=光速
人類はこの公式を用いて原爆を作り、使用してしまったが、本当は愛なのだと、自分への絶対的な愛を前提にした他者への愛なのだと。
実は僕はこの点がいまいち分かっていないのだが、自分への愛がようやく芽生えつつあるのを感じているこの頃だ。
まだまだ知るべきことは多いが、もうすでに会得していると言えないこともない。
ありがとう、合気道と言ったところだなあ。痛め付けなくても相手は転んでくれる、そんな風にありたいものだと思うが、その前にしっかりと基本をやろう、となざか改めて思った次第。
件の老人が現在読んでいるのはおもちゃの歴史についての辞典のようなもの。
自分の抱いたイメージは間違っていなかったのか?
両脇の老人たちは揃いも揃って新聞の風圧を送ってくる。我々においては忖度ばかりで、肝心なことは何も書かないマスゴミだが、彼らには貴重な情報源らしい。
人間も宇宙と同じだと言う。その宇宙の法則を表現するのが合気道なのだと開祖植芝盛平翁は仰った。
どうだ、全ては繋がっているみたいだ。
自分と言う幻、一体となる宇宙、上手く言えないけど、これからの大変な時代を生き抜く術とならんことを祈って、稽古を続けよう。なぜか、そんなことを思った次第。
武術的教えの実践DAYS その57
おかしいなぁ、結局昨晩は爆食いdinnerになってしまった。
仕事柄、メーカー担当者によるプレゼンにより春の新商品の案内があったのだが、いわゆる季節の変わり目に行われる年中行事であるが、ピンクがかったものばかり、うーん、春です、もう、すぐそこまで来ていますって感じかなぁ。
その中に担当者一押しのなぜか゛イカ軟膏500グラム入り゛。それだけだと味もしゃしゃりも無いのだが、一味唐辛子とポン酢を加えると、食感だけが売りの食材が見事に生まれ変わった。偉大なり調味料、スパイスを求め、大海原を駆け巡ったポルトガルの船乗りたちに思いを馳せる?そして、皆がそこそこで切り上げたそのイカを、いつものポテチと同様、袋を開けたら完食である。
嗚呼、いやしい。
その後、場所を移して回転寿司で草食系軍団ミーティング。
次回の水曜日出勤日に行われるミーティングの司会進行などを仰せ使ったのだが、ボスはもっと「いろいろ考えといて欲しい」由。
そう言えば、某SNSで「米国では会社で働くというライフスタイルの限界が囁かれている」とのリポートを読ませていただいたのだが、理由は事業のスピードが速すぎて、人が育つ頃にはそのノウハウが劣化しているのだとか。
数字を膨らませるために引き受ける、どう考えても手間ばかりの仕事とそれを踏まえての効率アップだとか、そして、時短。
わーわー、一歩も引かずに自己主張する人々が良しとされ、どんどん仕事を片付けてさっさと帰る。
自分の場合、特に意見はないけど、寿司を摘まむ間隔は割と早く、そつなく、デザートも一番で。
いやしいなぁ、オレを痛感した。
というわけで、爆食いデーと相成ったわけである。
限界まで食べ、資本主義の限界を悟った一夜だったわけである。
https://youtu.be/RwtFHS3w2RY
昼間こんなの聴いてたからなぁ汗
武術的教えの実践DAYS その56
娘が風呂場にパソコンを持ち込んでYouTubeを観ていたら、画面がブラックアウトし、修理に出すと「水が侵入した形跡があるのが原因である。ついては修理はざっと15万円なり。いかがされますか?」との由。もちろん、さかのぼること約1年半に8万円ほどで買った中国メーカー品の修理にそこまで大枚をはたく決断をするはずもなく、もう一度同じメーカーの同じようなスペックの商品を購入した。
そんなに変わってないはずなのに、自分専用のアカウントを作ろうとすると、Windowsログインアカウントだの、メールアドレスだの、電話番号だのと、しつこいこと極まりない。
ようやく認証されたと思うと、しばらくお待ちくださいの表示がなされ、ぐるぐると円が回って?いる。
嗚呼、自分のデータが吸われている、普段何を好んでいるのか?どんな動画を見ているのか?筒抜けになっている。などと被害妄想がどんどん膨らんできた。
何とも嫌なひとときであった。
便利過ぎるのも考えものだと改めて思った次第です。しかし、これのどこが武術なのだろうか?わはは。
武術的教えの実践DAYS その55
何十年ぶりか正確には思い出せないぐらいで、38度8分の熱が出ていた。そんなことを言われると足元もおぼつかないような氣がしてきた。
予想外に人がいない内科の待合室の、空気清浄器が完備された一角に案内された。もしかしてこれは隔離されているのか?
普段見るのより何倍も長く細い綿棒の先端は鼻の粘膜に触れ、そしてそこには自分がインフルエンザであることを示していた!?
仕事はもちろん、稽古も、食事でさえも普段通りでなく月並みだが、改めて健康であることのありがたさを実感している次第です。
とはいっても、以来2週間が経過し、当たり前だが普段の生活に戻っているのだが。
その間、読むともなく、見るでもなく。図書館の本の数々。
どうにも空海さんの密教に惹き付けられて仕方ない。三密加持、やってみたいとは思うのだが、印はあまり分からずにはしない方が良いとのこと。うーん、誰か教えてください!
トイレの後とかまったく氣にしていなかったが、本来沐浴後にすべしなどと書かれているのを読み、少し改めるべきかも知れない氣になる。
武術の歴史に、自分が理想とするイメージと現実とのギャップについて思いを馳せる。そして、今更ながら理想を思い描くことすら、出来ていない、否、していないことに氣付き、大慌てしている。
合気道の
稽古では子供、初心者クラスを作り、別れてやることになった。
遅まきながら 、2019年がやっと、実質的に始まった氣分だ。
今年もよろしくお願いいたします。
タイトル変えてみたくなりました。
良い機会だから、この際タイトルもマイナーチェンジをと思う。ちょっと長いけど。
40過ぎから合気道にドはまりした゛宇宙名グリンガ゛の日々是稽古也。
やはり長い?
さて、芸術を、感動を描く作家。目指すのは悪くない、だが、当然誰もがなれる訳ではない。そんな当たり前な現実と日々繰り返されるドタバタ、バタバタ。大切な時間が下らない(失礼!)ことのために失われて行く。
もちろん、それも、だって家族のためだから、と言い訳しながら過ごして行くのもありだとは思う。
そして、まるで出尽くした出しがらからとことん絞り取ろうとする体質?は多分今後も変わることはないだろう。
人数だけはやたらたくさんいて、絶滅した怪獣のような巨体となった会社組織、そして、その中を貫く硬直した発想や価値観。
こりゃダメ一刻も早く抜け出そう。そうだ、そうだ!
だから、何かを売るのだ。インターネットの世界で。ライターはライター(燃やすやつじゃあなくて)でも、セールスライター、そんな感じかなぁ。
でも、日々の、昼間の活動とやりたいことの融合という意味では悪くないかも?
これはこれまで繰返してきた逃げの一種なのか?妥協なのか?僕はやはり負け犬なのか?
いや、それがそうでもなくて、そう割りきった今、案外スッキリしているから不思議だ。
但し、騙すのはダメだ。できないけど。
嫌な感じがする、クリックボタンがたくさんあるような、しつこいのも。
もちろん内容を把握してもらうための最低限の説明は当たり前だが、何やったら、さらっと。少し洒落っけもあって、よく売れる。そんなのが理想なのだが、果たしてどうなるのか?
ただ、社内で評価される、ずけずけ物言う、そして、さらっと小狡い感じ。これに物凄く嫌悪感を抱いているので、いまだ抵抗があるのだと思う。
だが、それでも、とりあえず、楽しみだ、ということにしておこう。
嫌々お金のためにやってきたこれまでに落とし前をつけるためにも、やったろうやないか!
ここ数日そんなことを考えておりました。
先ずはコンセプトとか、自分の思いを体現してくれるような商品選定だが。
やりまっせ!